日本の製造業において、技術継承の最大の課題は「承継する側」だけではなく、「承継される側」である若手社員の定着にあります。どれほど熟練者が技術を伝える意欲を持っていても、その受け手である若手が早期に離職してしまえば、技能は組織に根付かず、企業の競争力も大きく損なわれてしまいます。
厚生労働省の「新規学卒就職者の離職状況調査」によれば、製造業の新卒社員も例外ではなく、3年以内の離職率は約3割に達しています。これは「せっかく育成に投資しても、実を結ぶ前に人材が流出してしまう」現実を示しています。さらに総務省「労働力調査」では、製造業全体の従事者の平均年齢は2023年時点で44.8歳と過去最高を更新。若手不足と熟練者の大量退職という「二重の波」が押し寄せているのです。
現場の声を拾ってみても、「若い人が入っても長続きしない」「せっかく戦力になりかけたころに辞めてしまう」といった嘆きが少なくありません。そこには、育成体制の不備や、やりがいを感じにくい職場環境、キャリアの見通しの不透明さなど、複数の要因が絡んでいます。
言い換えれば、若手社員を「採用した後にいかに定着させ、モチベーションを高め、技能の担い手として育てるか」が、技術継承の成否を左右する最大のカギとなります。
第5回の今回は、若手社員がやりがいを持ち、長く働き続けるための具体的な施策を考察し、技術継承の持続可能性を確保するための道筋を探っていきます。
各種実施されているアンケート調査によると、近年の若手社員は「安定した給与」や「会社への忠誠」よりも、自律的なキャリア形成機会や内発的な成長実感を求める傾向が強いといえます。加えて、製造業において若手の職場定着が困難になってきている背景には、仕事の意味や成長実感が得られにくい状況や、働く環境のギャップも影響していると推測されます。こうした傾向は、若手が職場に感じる「やりがい」や「モチベーション」に大きく関わっていると考えられます。
若手社員が定着するためには、「自分が成長している」と実感できるかどうかが重要です。厚生労働省の「能力開発基本調査」においても、若手の定着要因として「成果や能力の発揮を実感できる環境」が挙げられています。現場の若手からも「同じ作業を繰り返すだけではやりがいを感じにくいが、昨日は30分かかった作業が今日は20分でできたなど、自分の成長が実感としてわかると自信になる」といった声が聞かれます。このように日々の小さな成長を可視化できる仕組みは、モチベーション維持に直結します。技能評価シートやスキルマップを導入し、作業ごとの習熟度を「見える化」することで、若手は自分の成長を確認しやすくなるのです。
達成感をより強固なものにするには、目標の存在が欠かせません。近年は製造業においても評価制度として「MBO(Management by Objectives):目標管理制度」を導入する企業も増えてきました。しかしながら、導入したのは良いものの、効果的な運用ができているかというと、そうではないケースも目立ちます。若手は「この仕事を続けた先に、自分はどのように成長できるのか」を知りたがっています。そのため、短期・中期・長期に分けた目標設定をすることが効果的なのですが、実際には会社の業績数字に応じた短期的な目標しか設定されていないことが多く、近視眼的な内容となっています。これでは技術継承のような中長期的な視点で取り組むテーマは取り上げられづらくなります。
そこで目標を設定する場合は、長期的な視点でゴールを決め、そこからマイルストーンを置くように、中期・短期の目標を設定することが効果的です。たとえば、長期では「3年以内に後輩を指導できる立場に立つ」と目標設定し、中期では「1年以内に生産ラインの一工程を任せられる」、短期では「半年以内に安全確認を含めて一人で一通りの作業をこなせるようにする。そのために、今月中に安全作業のマニュアルを熟読し、マニュアルに沿って基本作業ができるようになる」といった段階的なステップで設定し、状況を確認しながら具体的な進め方を検討し、必要に応じて修正するなど、目標設定はバックキャスト(未来を起点として現在を考える)で考え、進め方はフォアキャスト(現在を起点として現状の延長線上に未来を描く)で進めることが成功の秘訣です。
ある若手社員は「今はどの段階にいて、次に何を目指せばいいかがわかると、ゴールに向けて頑張ろうと思える」と語っており、目標の明確化と日々の成長実感が意欲的な行動に直結していることがわかります。
重要なのは、達成感の見える化と目標設定を組み合わせることです。進捗が数値やチェックリストで示されると、「次はここまで到達しよう」というモチベーションが自然に生まれます。ある電機メーカーでは、習熟度をA〜Cで評価し、その結果を技能手当や昇格に連動させる制度を導入しました。すると「自分の成長が昇給や昇進に結びついていると感じられるから、学ぶ意欲が湧く」という若手社員の声が増え、離職率も低下しました。
このように、日々の小さな成長を数値で示し、その積み重ねをキャリア形成や待遇と結びつけることが、若手のやりがいと定着につながるのです。
若手社員にとって「この会社で自分はどのように成長し、どんな将来を描けるのか」が見えないことは、大きな不安要因になります。厚生労働省の「若年者雇用実態調査」では、20代の離職理由として「将来の見通しが立たなかった」が上位に挙がっており、キャリア展望の不透明さが離職に直結していることが明らかになっています。現場でも「スキルを積んでも評価につながるのかが見えない」「頑張っても将来どうなるのかが分からない」といった声が聞かれます。これではモチベーションが続かず、早期離職の引き金となってしまいます。
そこで必要なのは、若手社員に明確なキャリアの道筋(キャリアパス)を示すことです。たとえば、技能者であれば「入社1〜3年目:基本作業を独力で遂行」「4〜6年目:特定工程のリーダーを担う」「7〜10年目:後輩を育成する指導役」というように、段階的にキャリアを定義していく仕組みです。ある製造業の現場では、このキャリアステップを図解化し、各段階で求められるスキルと評価基準を明示しました。その結果、「自分が今どの位置にいて、次に何を身につければいいかがわかる」と若手の納得感が高まり、離職率が改善しています。
しかしながら、単にキャリアパスを描くだけでは十分ではありません。日々の業務を通じて「どこが良く、どこを改善すべきか」を具体的に伝えるフィードバックがあってこそ効果を発揮します。経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」でも、社員のエンゲージメント向上には「目標に基づく評価とフィードバック」が欠かせないと示されており、実際、ある自動車部品メーカーの若手社員は「毎月の1on1で、上司から『ここまで成長した』と具体的に言ってもらえると、自分の努力が認められたと感じて頑張れる」と語っています。このような小さな承認の積み重ねが、若手の定着を後押ししているのです。
このようにキャリアパスとフィードバックを連動させることで、目標と現状を照らし合わせて「あと半年でここに到達できる」など、現在の立ち位置とこれから目指す姿がイメージされ、フィードバックによって背中を押されると、若手は目標達成に向けて努力しやすくなります。評価が給与や昇格に直結すれば、やりがいはさらに高まります。現場でも「ただ働くだけでなく、自分の未来に投資している感覚になる」との声が増えており、キャリア形成の見える化は定着施策として大きな効果を発揮します。
技術継承を阻む要因としてしばしば挙がるのは「時間不足」や「指導スキルの欠如」ですが、実はそれ以上に大きいのが人間関係の不安定さです。若手が「質問すると怒られるのではないか」「失敗すると叱責されるのではないか」と感じれば、指導を受ける機会は失われ、学びは停滞します。ある製造現場の新人も「分からないことがあっても聞けない雰囲気だと、結局自分で抱え込み、作業効率も安全性も下がる」と語っており、心理的ハードルが学習意欲を大きく削いでいることが分かります。
米Google社が実施した「プロジェクト・アリストテレス」の研究では、チームの生産性を高める最大要因は『心理的安全性(Psychological Safety)』であると結論づけられました。これは「安心して意見を言える環境」「失敗しても罰せられない文化」があることで、学習や改善が進むことを示しています。製造業の現場においても同様で、若手が安心して質問や提案ができる環境を整えることが、技術継承のスピードを左右します。
信頼関係は一朝一夕には築けませんが、日々の小さな積み重ねで形成されます。たとえば、上司や指導者が「なぜそう考えたのか」を問いかけ、答えを一方的に否定せず、まずは傾聴する姿勢を見せるだけで、若手の安心感は大きく変わります。
ある工場の班長は「失敗を責めるのではなく、『どうすれば次はうまくできるか』を一緒に考えることで、若手が次から積極的に聞いてくれるようになった」と振り返ります。このように、叱責から学習支援への転換が、信頼の基盤となります。
しかしながら、個々の指導者の姿勢だけでは限界があります。組織として「質問歓迎」「失敗は改善の機会」といった文化を醸成する必要があります。ある中堅製造企業では、朝礼の場で「昨日のミスと改善案」を全員で共有する取り組みを始めました。最初は抵抗もありましたが、上司自らが自分の失敗を率先して語ることで雰囲気が変わり、若手からも「自分も安心して話せる」との声が増えました。
このように、心理的安全性は個人ではなくチーム全体で育む文化であることを忘れてはなりません。心理的安全性が担保されている職場では、若手社員の定着率が高まる傾向があります。厚生労働省「若年者雇用実態調査」でも、離職理由として「人間関係の不和」が常に上位に挙がっています。裏を返せば、人間関係が良好で信頼関係が築かれていれば、給与水準や労働時間といった条件面を上回る効果を持ち得るということです。現場での「聞いてもいい」「相談してもいい」という安心感こそ、若手が長く働き続けたいと感じる土台なのです。
日本の製造業が直面する最大の課題のひとつは、熟練者の大量退職と若手の早期離職が同時に進む「二重苦」です。これまでの議論を通じて明らかになったのは、技術継承を支えるのは「教える側の力量」だけでなく、「承継される側である若手の定着と成長」が未来を決定づけるということです。
若手が安心して学び続けられる職場を作るには、日々の小さな成長を「見える化」し、次に進むステップがわかるような、目標設定と達成感の可視化、キャリアパスと適切なフィードバック、そして、安心して質問や挑戦ができる心理的安全性の高い職場文化を築くことが大切です。
これらの施策は単発ではなく、相互に結びつくことで大きな効果を発揮します。達成感がモチベーションを高め、キャリアパスが未来の方向性を示し、心理的安全性が挑戦を支える。その連動こそが若手の成長を加速させ、技術継承の基盤を強固にするのです。
ある工場長が語った「人は教えても辞めるかもしれない。しかし、教えなければ必ず辞める」という言葉は、この現実を端的に表しています。人材への投資を惜しまず、若手が「この会社で働き続けたい」と思える環境を整えることこそ、技術資産を未来へつなぐ唯一の道筋です。
次回は、こうした取り組みが実際に成果を上げている技術継承の成功事例を取り上げ、日本の製造業が進むべき方向性と今後の展望について考えていきます。